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『核の安全』を日本はどのように学び覚えたのか――否認の政治
Apr. 09, 2011

ローレンス・ウィットナー著

 

英文 ENGLISH

 

学びにはいろいろな方法があるけれども、体験はとりわけ実りある教育をする教師である。現在、原子力がいかに危険でありうるのかを学んでいる日本人を例に考えてみよう。

 

日本にいる人びとが、核兵器による破滅的な体験もしていることは言うまでもない。これは、1945年に米国政府が原爆で広島と長崎を破壊したときだけではない。1954年の米国の水爆実験が、第五福竜丸という日本漁船に人の命にかかわるような放射性降下物を浴びせた時もそうだ、この事件で死者が出て、広範な核兵器廃絶運動が始まったのである。

 

第五福竜丸事件は、次のような米国の水爆実験の過程でおきた。1954年3月、米国原子力委員会(AEC)は最初の水爆実験を行った。AECが設定した危険区域は、ビキニ環礁(マーシャル諸島にあるこの実験地を米国は国連「信託統治領」として支配していた)を中心に、ニューイングランドとほぼ同じ広さの5万平方マイルに亘るものであった。しかし、予想に反して、実際の爆発は予想の二倍以上の威力であり、膨大な量の放射性物質を大気中に放出した。この放射性降下物から出る多量の放射線が、米国政府の設定した危険地帯の外側にあるマーシャル諸島に降り注ぐと、米国政府はまず米国の気象観測要員を退避させ、幾日もたってからマーシャル諸島の数百の島民を避難させた。島民たちは、白血球減少や放射線皮膚損傷、皮下出血、頭髪の脱毛を発症した。これらの島民の多くが、甲状腺ガンや白血病を含む被曝に関連する病気で命を落としていった。

 

その間、実験地から約85マイル離れた危険区域の外側で、水爆実験に伴う放射性降下物が、小型の日本漁船第五福竜丸に降り注いだ。2週間後に母港の焼津港に帰着したとき、船員たちは、皮膚の炎症や火傷、めまい、頭髪の脱毛、さらに他の被曝に伴う症状で重篤となっていた。日本政府は即座に、被曝に苦しむ漁船員を入院させ、被曝した積み荷を廃棄した。ほとんどの漁船員は生き残ったけれども、第五福竜丸の無線長久保山愛吉は入院中に死亡し、残りの漁船員も生涯にわたって被曝による後遺症に苦しんだ。

 

第五福竜丸事件のニュースが日本中に広がるにつれ、パニックが日本を襲った。同時に、核兵器によって被害者になることを日本ばかりか世界中で終わらせなければならないという怒りに満ちた激しい決意が、日本をしっかりと覆い尽くした。放射性降下物――日本人はこれを「死の灰」と呼ぶ――は、一般家庭の日常会話で使われる言葉となった。世論調査によれば、無条件に核兵器実験を肯定するのは、人口の2パーセントにすぎなかった。1954年5月、東京都杉並区の中産階級の主婦たちが、水爆を禁止することを求める署名運動を始めた。彼女らの買い物篭に運ばれて、この「杉並アピール」は日本全国に広がり、1955年には当時の日本の人口の3分の1にあたる3200万人の署名を集めた。日本の核兵器廃絶運動は、日本史においてもっとも大きな、そして力強い社会運動へと成長した。世論調査によると、この運動は圧倒的な支持を集めた。

 

当然ながら、「水爆禁止」感情の大きな高まりは、米国政府の高官たちを驚かせ怒らせた。そして彼らは、自分たちの核兵器開発計画が危うくなるので、彼らに都合の悪い事実を否認する政治を組織的に始めた。米国原子力委員会委員長のルイス・ストルースは、「マーシャル諸島の島民は健康で幸福である」と公式に言明した。彼が認めたのは、第五福竜丸の漁船員が些細ないくつかの被害を受けたにすぎないということだけだった。しかし、第五福竜丸の漁船員が「危険区域内にかなり入っていた」というストルース委員長の言明は、どう考えても嘘である。身内になると、彼の発言はさらに冷笑的で気分を悪くさせるものとなる。第五福竜丸は、じつは「アカのスパイの一員」、つまり「ロシアの諜報システム」の一環だと、ホワイトハウス報道官に語っている。ストルースの要請を受けて、CIAはこのスパイの可能性を調査したが、明確にその可能性を否定した。CIAの否定にもかかわらず、ストルースは第五福竜丸の被曝は「偶然ではない」と言い張り続けた。彼の主張する根拠とは、船長は「ロシア人に雇われていた」に違いないという彼の確信だ。彼は研究者に対しても、漁船員の一人が被曝で死んだという「扇動家たち」による主張を無視するように語った。

 

ほかのアメリカ政府高官も、第五福竜丸事件に対する日本の反応になんらの正当性があるとは考えなかった。駐日米国大使は、日本の「抑制のきかないマゾヒズム」を嘆いた。彼の報告による、日本は「読者数を増やすためなら何でもやる新聞」によって、日本は自分たちが「殉難者である」という夢想に耽っているようなのだ。ジョン・フォスター・ダレス国務長官によると、ドワイト・アイゼンハワー大統領は駐日米国大使のこの報告を読んで、「非常に興味深く政策形成の視点から見ると大きな価値がある」ものだとみなした。ストルースと同じく、アイゼンハワーも回顧録のなかで、漁船員は危険区域内にいたと言い張った。国務長官代理は第五福竜丸事件の反響にコメントして、日本の公衆の態度について警告を加えた。「日本人の核兵器に対する感情は病的に過敏」であり、「日本人は、選ばれた犠牲者という選民意識を持っている」とアイゼンハワーに述べた。

 

しかし、1954年の悲劇的な出来事から日本人が実際に学んだことは、選民意識などではなく、こと核兵器になると、誰もが潜在的な犠牲者なのだということだった。言い換えれば、安全な核兵器などないのだということである。しかし、1970年代になると、日本は世界でもっとも野心的な核エネルギー計画に乗り出した。その結果は、原子力発電が日本の電力の30パーセントを供給するようになり、将来数十年でそれを50パーセントに引き上げようという計画も作られた今日の状況である。多くの日本人には、核兵器には非妥協的に反対する活動家も含めて、安全な核エネルギーという信念がしみついた。少なくとも、今月までは。周知のように、3月11日の地震と津波に続いて、日本の正常に動かなくなった原子炉は、放射能を吹き出しメルトダウンの脅威を生み出している。

 

日本以外の多くの人びとは、米国も含めて、核兵器と核エネルギーの安全性について、それがまやかしであるという事実を否認し続けている。たしかに、AP電によればドイツ政府は、核エネルギー計画を停止しグリーン・エネルギーを優先すると宣言した。しかし、オバマ大統領は日本の地震の直後に、米国は現在の原子力発電を拡大する計画を押し通すだろうと宣言した。彼らに、原子力発電所という怪物のようなものを世界からなくすべきだということを納得させるのに、どのような種類の体験が必要だというのだろうか。より核心的にいえば、そのような体験をするまで待つ必要が本当にあるのだろうか?

 

ローレンス・S.ウィットナー:ニューヨーク州立大学オルバニー校歴史学教授。最新の研究成果は、Confronting the Bomb: A Short History of the World Nuclear Disarmament Movement。この論文は、History News Networkに発表されたものに加筆したものである。

 

訳者

杉山茂

静岡大学教員

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